防災

阪神淡路大震災の記憶

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今回は私の被災状況と当時警察官だった父親の話を書かせていただきます。

 

 

私は阪神淡路大震災で被災しています。

 

と言っても、実家は兵庫県の姫路というところで、震源地からはかなり離れてはいたのですが、マンションの10階に住んでいたこともあり、かなり揺れたのを覚えています。

と言っても、3歳の誕生日の前日だったんですけどね(笑)

 

誕生日は1992年1月18日。

阪神淡路大震災は1995年1月17日。

それでもかなり記憶は濃いです。

 

 

 

 

だって家の中めちゃくちゃになりましたもん(笑)

 

 

 

2段ベッドの下の段で寝ていたのですが、揺れてから母に叩き起こされて、ベッドの下に押し込められて、ホコリっぽくて息しにくくて(笑)

 

揺れが収まったと思ったら、トイレ周りは水浸し。

食器やテレビ、壁に飾ってある絵画はガッチャンガッチャン落ちて、壊れて、割れて、床に破片が散らばって、、、

 

足の踏み場はなくなって、停電してるから掃除機は使えないし、母は雑誌か何かで破片を集めていて、言葉のわからない私に『危ない!』『こっち来ちゃダメ!!』みたいなことを身振り手振りで、伝えていたような気がします。

 

 

 

 

警察官だった父親はすぐにスーツを来て家を飛び出して行きました。

 

…と、そのあたりまでが記憶にあることです。

 

 

 

 

 

記憶にあることと、母から聞いた話を少し繋げていますけどね。

 

 

 

 

ここからは少し長くなりますが、当時警察官だった父親の話もさせて頂きます。

警察官目線の壮絶な場面が度々あったということで、一部お伝えしたいと思います。

 

 

 

 

 

父は神戸ポートアイランド勤務だったので、まさに震源地激近。

 

いつもは自宅の最寄駅から姫路駅に出て、姫路で乗り換えて神戸に向かうのですが、その日は電車は動いていない。

 

というわけでタクシーで姫路駅に向かうが、もちろん乗り換えるための神戸線が動いてない。

 

とりあえず姫路警察署に出勤。

 

県庁に警備本部をおいたと知り、その後。姫路署の警察官を乗せれるだけ乗せて、輸送車で神戸の県庁に向かったそうで。。。

 

高速道路で向かったが、明石まで道路は無事だがその先は路面にひび割れている状況。

 

輸送車の中から外を見ると、家々の屋根が崩れていたり、倒壊した家、倒壊しかかっている家があったり…

 

そして須磨に差し掛かったあたりから火の海。

 

左右から高速道路を炙るように道路の両脇から火の手が。

 

さらに道路も割れている。

 

そこからはさすがに輸送車は進めない。

 

そして須磨で高速を降りたが、長田に差し掛かったとき、輸送車の前に

『助けて!助けて!』

と人が押しかける。

 

パジャマのままの人、

泣き叫んでいる人、

身体中が汚れてドロドロになってる人、

怪我をしている人。

 

『家族が下敷きになってる!』

 

『体が痛い!』

 

『家が燃えている!』

 

『こっちで大変なことが起きてる!』

 

…と。

 

輸送車の前に大勢が立ち塞がり、足止めくらう。

 

そこで輸送車に乗っていた警察官のうち、3分の1ほどが輸送車から降り救助や出来ることをしようと務める。

 

残りが輸送車で目的地である県庁に向かうが、何度も同じような場面にあう。

 

そして県庁に到着した頃には、最初に輸送車乗っていた人数から3分の1もいなくなっていた。

 

県庁の近くの生田署で降り、そこからは歩いて県庁に向かったが、建物は窓ガラスが割れて、お店などはもちろん全て閉まっている。

 

盗難防止のためなのか、窓をテープで補強しているコンビニなどもあった。

 

その中で一軒だけ、開いているお店があり、それが駄菓子屋さんだった。

 

そこで父はポケットに入るだけの駄菓子を買って、こっそりポケットに隠して県庁に着いたという。

 

 

 

 

『食糧が無くなることが分かっていたからそうした』とのこと。

 

その通りで、父も他の警察官達も、食べ物がほとんどない状況で3日間過ごした。

 

水は断水しているので、布引(六甲の水)に汲みに行く係を作り、トイレなどの生活用水と飲み水として使った。

 

同僚や上司、部下たちと共にほぼ絶食で過ごして2日過ぎたころ、ポケットに忍ばせていた駄菓子を、上司や部下たちみんなの前にポン!と出したところ、みんな飛びついて喜んで食べたという。

 

中にはおもしろい(?)上司がいて、何も言わずに勝手に父の持っていた駄菓子を幹部に配りにいって、上の人の機嫌とり?と思えるようなことをしていた人もいたとか。

 

 

 

 

 

3日目になるとやっと他府県から支援がきたり、給水車がきたり、食糧が届いた。

 

大阪などの近隣県から、歩いて水を配りに来るボランティア精神の人もいたそう。

 

 

 

人と人との繋がりというものが、ネット社会の今、薄れてきているが、とても大切なことだと父は語っていました。

 

その後、父は地震の起きた地域の警備や色んな手配をする仕事を任されたそうで、他府県からの警察応援手配や、県庁にいる警察官達の行動計画などを考え、指示を出す役任される。

 

さらに人命救助や被災状況の調査。

車は通れないからバイク、ヘリで情報収集。

警察と神戸市、自衛隊で協力して照合などもした。

 

 

 

 

阪神淡路大震災の当日から父は1週間ほど現地にカンヅメ。

 

しかし、このままだと我々も体や精神が保たないから二交代にしよう…ということになり、1週間ほどで自宅に帰れることに。

 

そこからは3ヶ月ほど二交代勤務になった。

 

神戸のあたりの電車はその間動いていなかったので、自転車を買い、西明石まで電車で行き、西明石から自転車で神戸の県庁まで…という通勤を3ヶ月ほどしたとのこと。

 

 

 

 

その年の8月ごろになると、かなり復興し、経済も少しずつ動き始め、通常の勤務に戻ったという。

 

 

 

 

 

この震災での警察官としての活動の中で、何度も何度も、考えさせられる場面に出会ったという。

 

それは先ほど書きましたが、震災当日の輸送中、目的に向かう途中で足止めを食らったこと。

 

こちらとしては、上からの指示では県庁にいけと命令を受けている。

 

しかし目の前に困っている人がいる、死にかけている人がいると訴えている。

これを放っておいて目的地に行くべきなのか…

 

目的地の状況が分からないままなのに人員を割くべきなのか…割かない方がいいのか…

どうしたらいいのか。。。

 

 

 

 

 

さらにお年寄り夫婦が木造アパートに住んでいて、今にも崩れかかっている。

 

奥様が家具の圧死により亡くなったが、奇跡的に旦那様は無傷。

奥様の遺体の横にいらっしゃったそうで。

 

そして、動けるのに

『わしは一歩も動かん!長くここに住んで、しかも嫁も死んでしまったから、もうワシも一緒に死ぬ!』

と言って逃げなかったそう。

 

そう言った場合どうするか…

 

無理やり引きずってでも救助すべきか…

本人の意思を尊重すべきか…

 

結論は無理やり引っ張って救助したそうだが、何がベストなのか、ベターなのか分からない。

 

これはそれまで自分がどのように生きてきたかが問われていると感じ、機転が必要だと思ったそう。

 

 

 

 

父の直属の上司は娘さんがいて、寝てるときに地震が起き、タンス倒れてきて重症になり病院に運ばれた。

 

しかし上司は娘を奥さんに任せて、家族を放ったらかして(言い方は悪いが)出勤。

 

神戸に住んでいたので歩いて毎日出勤していた。

 

その上司は、父が自転車で通勤しているのを見てその自転車を貸してくれと言ったそう。

 

なぜ?と聞くと

『娘の入院している病院に行きたいんだ』と上司は言った。

 

その日は震災から1ヶ月ほど経っていたが、それまで娘が重症なのを誰にも話さず、仕事に専念していたそうで、責任感をもって仕事をしている上司になんとも言えない気持ちになった、と言っていました。

 

 

 

 

 

災害は究極の選択を迫られる場面が何度もある。

 

父は特に職業が警察官だったから特に感じることがあったのだと思いますが、実際に経験した方から聞くとあらためてそれを感じます。

 

私は被災したと言っても大した被災状況ではありませんでした。

 

もっともっと大変な思いをされた方はたくさんいます。

 

必ず起きる大地震、大噴火、台風や水害、土砂災害などの災害。

 

それにどう備えるか、何を想定し、その時が来た時の行動シュミレーションなど、考えたり準備できることは沢山あります。

その時がきて後悔のないように備えたいところです。

 

 

 

以上。

お読みいただきありがとうございます!

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リカ@今世生き残りサバイバリストでプレッパー『今世を快適に生き抜く近未来対策と防災術』

ゆる自然派で2児の母。今世こそは子ども達を守り抜くために編み出した『循環型在宅避難生活術』を提唱中。既存の防災術では払拭できない不安を解消できる「非常識でありえない防災術」無関心は『死』あるのみともいえる今の時代を快適に生き抜く方法を発信中!BloomEarth株式会社2期目代表。エステサロン運営と防災、アウトドア用品、生活用品、自然食品などを販売。にわとりと暮らしています。

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